大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和51年(行ツ)42号 判決

東京都文京区湯島三丁目二番一七号

上告人

漆原徳蔵

右訴訟代理人弁護士

田中紘三

東京都文京区本郷四丁目一五番一一号

被上告人

本郷税務署長 中沢保二

右指定代理人

五嵐徹

右当事者間の東京高等裁判所昭和四九年(行コ)第七七号所得税更正決定無効確認請求事件について、同裁判所が昭和五一年一月二一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田中紘三及び上告人の上告理由について

所論の各点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、独自の見解を前提として原判決の違法を主張し、あるいは原審の専権に属する事実の認定を非難するにすぎないものであって、すべて採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 服部高顕 裁判官 江里口清雄 裁判官 高辻正己 裁判官 環昌一)

(昭和五一年(行ツ)第四二号 上告人 漆原徳蔵)

上告代理人田中紘三の上告理由

上告人は原審たる東京高等裁判所において、本件第一審判決の事実認定及び法律の解釈が誤っていることを主張した。しかるに原審判決は第一審判決理由を全面的に援用する形で、上告人の主張を、いわば一刀両断的にしりぞけた。しかしながら、原審判決は以下にのべる理由により破棄を免れない。

第一 本件第一審判決は、理由二の(五)において「原告に所得が帰属したと認めた本件更正に仮に瑕疵があるとしても、それは明白な瑕疵であるということはできない」としてその理由を掲げている。しかし、この点に関する原審判決(第一審判決を引用している。以下同じ。)は行政処分が無効となるための要件のうち、明白性の解釈適用を誤っているのみならず、理由にもくいちがいがある。

原判決は、右の結論に達するためつぎの事実を認定している。

すなわち、

「訴外会社は原告を代表取締役とし、原告の家族のみを株主とする同族会社であること、訴外会社は、本件売買の仲介をし丸紅飯田から仲介手数料一二七万九四六〇円を得ていること、被告係官の訴外会社に対する調査によれば、訴外会社の会計帳簿等には、本件売買に関しては右仲介手数料収入の記載しかなく、他に前記利得額に対応する収入金額を記載した裏帳簿等も発見されなかったこと、また原告からの事情聴取においても前記利得の帰属に関し何ら明確な答えを得ることができなかった。

ところで、およそ課税処分において、所得帰属者の認定を誤り、その結果処分をうくべき相手方を誤ることは課税要件の根幹に関する内容上の過誤が存することとなるので、その課税処分は当然無効というべきである(最高裁昭和四八年四月二六日判決民集二七巻三号六二九頁)。

しかして、課税処分が無効であるとするためには、行政処分に客観的に重大かつ明白な瑕疵があることが要件とする学説に従うとしても、本件課税処分に内在する瑕疵は重大かつ明白であるといえる。まず、所得の帰属主体の認定を誤ることはそれ自体重大な瑕疵であることは当然のことといえよう。そこで問題となるのは、本件課税処分に明白な瑕疵があるといえるか否かである。この場合、明白性について(イ)客観的が何を意味するか、(ロ)どの程度に明白でなければならないか、(ハ)また明白性の基準時はいつか、について分けて論ずることが必要である。

(イ) まず客観的ということの意味であるが、行政処分の瑕疵の客観的明白という観念は主観的明白に対応するものであるから、処分関係人が知っていたか否かとは無関係である(最高裁昭和三七年七月五日判決民集一六巻七号二八〇頁)。それは単なる外観上一見して明らかであるという意味ではなく正常な判断をすれば同一の帰結に到達するような事態をさす。それ故、行政庁が事実上知っていたかどうかではなく、知っているべき筈であったという意味において、たとえ事実上は知っていなくても知っているべき筈であったと認められるときは明白な瑕疵であるということを意味する。

(ロ) どの程度明白でなければならないかという点については、少くとも、行政庁が処分をする際に知っておくべきであった事実、つまりその時点で調査することが当然の義務であった事実の誤認は処分の無効を招来する要件としての明白性の程度に達しているものというべきである。すなわち、処分の瑕疵が明白であるためには、その瑕疵が一見して看取しうるものである必要はなく、行政庁がみずから行なうべき調査を行えばとうていそのような判断の誤りを犯さなかったであろうと考えられる場合もまた処分に明白な瑕疵があるということができるのである(東京地裁昭和三六年二月二一日判決行政事件裁判例集一二巻二号二〇四頁)

(ハ) 最後に明白性の基準時については、瑕疵は処分時から明白であるべきことは当然であるといえる(最高裁昭和三六年三月七日判決民集一五巻三号三八一頁)。

以上の基準を本件にあてはめてみると、原判決が引用する前記事情はそのどれひとつとつても、本件課税処分の瑕疵の明白性を認定するための妨げとなるものではない。すなわち、原判決が瑕疵の明白性を否定する理由は、右判決の認定したところによれば、要するに訴外漆原不動産株式会社において本件取引による所得の帰属をうかがわせる帳簿類が見つからなかったというにある。しかし、右訴外会社にそのような帳簿が見つからなかったからといって、その代表者個人たる上告人を所得帰属主体とみとめることはとうてい許されるものではない(高松高裁昭和三六年一二月二三日判決税務訴訟資料三五巻九七七頁、大阪地裁昭和三六年三月三〇日判決行政事件裁判例集一二巻三号四七七頁、神戸地裁昭和三八年一月一九日判決税務訴訟資料三七巻一号一八一頁等中の判旨を参照)。上告人が個人たる地位において本件取引上の契約主体となったり、それにともなう金銭を受領し、支払いをしたとみとめられる特段の事情、または上告人が本件取引から生じた所得を個人的な用途に費消したとか、自己名義で預金した等の事情がともなっていない限り、右のような認定事実から本件所得の帰属主体を上告人とし、訴外会社としなかったことの瑕疵の明白性はいささかの影響もうけるものではない。

原判決の論法を一般化するならば、ある一定取引から所得が発生したと認定された場合において、もし会社にその所得の帰属を証する帳簿等が発見されないならば、その会社以外のいかなる第三者(その代表者個人を含む)を所得の帰属主体とみとめても、課税処分に明白な瑕疵がなくなるという、驚くべき暴論となる。

また原審判決は瑕疵の明白性を否定する根拠のひとつとして前記引用のとおり、「原告からの事情聴取においても前記利得の帰属に関し何ら明確な答えを得ることができなかった」ことをあげている。しかし、被上告人において期待するような答えが上告人から得られなかったといって、それが税務調査に対する協力をしなかったことになるとは限らない。上告人の期待するところが、真実と一致すると限るものではなく、また上告人が自己の知っているところにしたがい真実をのべることは上告人の権利であり義務でもあるのである。しかして、かりに上告人の態度が右の点において税務調査の協力拒否だとしても、それが税額についての推計を許す合理的根拠のひとつとはなり得るとしても、所得の帰属主体を上告人であると判定する理由となりうるものではない。原判決はこの点において、理由にくいちがいがあるというべきである。

更にまた、原審判決は瑕疵の明白性を否定する根拠のひとつとして、訴外会社が上告人を代表取締役とし、上告人の家族のみを株主とする同族会社であること、をあげているが、瑕疵の明白性を否定する根拠として右の事実をあげることは法律の解釈を誤ったものであると考える。

第二 裁判における事実認定は証拠を通常人の感覚で合理的に評価して得られたものでなければならない。しかし、原審裁判所は証拠にあらわれない事実を認定し、証拠を曲解し、その結果証拠から説明できない事実関係の認定をことさらにあいまいにし、もって判決の理由の欠如ないし不備くいちがいの違法をおかすにいたっている。

まず最初に、原審判決は上告人が個人として本件土地の取引に関与したと認定した証拠として甲第二号証、乙第六ないし第八号証、第一五号証、乙第二号証、乙第一〇号証、乙第一三号証、乙第一四号証、ならびに証人尾形右門、同佐渡可吉、同田所富男、同五島寿一、同川原田卓雄の各証言を掲げている。そこで、右各証拠によって原審判決の認定が許されるか否かを検討してみる。

(一) なるほど、甲三号証には受取人として漆原徳蔵及び尾形右門の名前が連記してある。しかし、税法の解釈からいえば、甲三号証はその表面の記載だけでなく、これを参考として何のために支払がなされたのかという実質的関係を解釈認定して課税の資料とすべきものである。そこで、甲第三号証記載の大塚周佐久と右尾形右門との関係をみるに、証拠上これら両者間に金銭の授受を必要とする合理的関係は認められない。大塚周佐久と金銭の授受があっても合理的なものとして説明できる相手方は、原審記録上から述べる限り、訴外会社だけである。上告人個人と大塚周佐久との間に対価関係がうまれることをうがわしめるような証拠はない。また漆原徳蔵の名前が受取人欄に記載されるについて上告人の意見が介在したことを証する証拠もない。原審判決が右領収証の趣旨及び真の相手方を判断するにあたって、証人大塚周佐久の証言を考慮していないのは事実認定の方法として許されないところである。また原審判決は理由二の1の(一)において、「大塚周佐久に対する支払いは、専ら原告(上告入)ないし訴外会社の利益のための支出とみるべきこと後に認定するとおり」と言いながら、理由二の1の(二)において、「大塚は本件売買に何ら関係しておらず、同人に対する右の支払いは昭和三二年頃訴外会社が同人の紹介により丸紅飯田と取引できるようになり、以後多大の利益を得ていることに対する謝礼の趣旨であった」と認定しているのは、右上告人のどのような利益のためであったかの事実認定がなされていない点において、理由が不備でありもしくは理由にくいちがいがある。

(二) 乙第六号証ないし乙第八号証には訴外会社の名前がどこにも見当らない。かえって乙第六号証によれば、久保工務店に対する工事発注及び支払はもっぱら訴外会社の名義と計算で行なわれたことがみとめられる。原審判決は理由二の1の(一)において、上告人が「本件土地のよう壁工事代金として訴外会社を通じ久保工務店に三〇六万五〇〇〇円支払い」と認定している。しかし、「訴外会社を通じという用語が法律的にどのように構成されるのかを明らかにしていない点において右認定は理由不備というべきである。

(三) 乙第一五号証によれば、訴外会社が尾形を売買契約の当事者にしたという記載はあっても、上告人が個人として本件取引に介在したことを示す部分は全くない。

(四) 乙第一号証は肝心の上告人が当事者として署名しておらず、その内容及び作成年月日から作成経緯について奇異な点が多いのみならず、その署名者のひとりたる田所富男も第二回証言で乙第一号証の内容が虚偽であることを証言しているのである。従って、乙第一号証をもって、上告人が個人たる資格で本件取引に関与していたことを認定することは許されない。

(五) 乙第二号証によれば、上告人が訴外会社の代表者たる地位で行動していたことがうかがわれ、個人たる地位で行動していたことはうかがわれない。

(六) 乙第一〇号証、乙第一三号証及び乙第一四号証はいずれも、被上告人が個人たる資格で本件取引に関与したか否かを示す証拠とはならない。

(七) 証人尾形右門の証言中には漆原という名前が出てくるが、これを訴外会社をさすのか、それとも上告人をさすのかは明らかではない。かえって、訴外会社を取引交渉の場所に利用しているところからみれば、漆原とは訴外会社を指称していたものと解するのが合理的であるともいえる。なお、日本人の日本語の使い方として、会社名にも「さん」を付けて呼ぶ例がきわめて多く、そのため、会社名にその代表者が含まれている場合、第三者がどちらを指しているのかをよくたしかめる必要が多い(但し、だからといって、所得の帰属主体の誤認定が許されてよいものではない)。上告人は右尾形が誰を指称して漆原と言ったのかをたしかめるべく第二審において証人尾形右門の再証言を求めたが、原審はこれを採用しなかった。そこに審理不尽の違法があるというべきである。

(八) 証人佐渡可吉も証言中に「漆原さん」ということばを発している。しかし、これらの用語がいずれも訴外会社の代表者たる漆原もしくは訴外会社そのものをさすことは証言の全体の解釈上明白である(とくに、証言調書七丁、八丁、一〇丁)、上告人はこの解釈上明白な点をさらに明確にする目的をもって、第二審において証人佐渡可吉の再証言を求めたが、原審はこれを採用しなかった。そこに審理不尽の違法があるというべきである。

(九) 証人田所富男の証言は第一回及び第二回の証言を綜合して解釈すべきところ、同証人は上告人が買主として行動していなかったことを明確に証言してい。

(一〇) 証人五島寿一は、「漆原さんの所得金額は会社のものではなくて漆原個人のものだと認めた根拠」についての答えとして、「結局先ほどらい申しあげましたように、一五〇〇万ほど収入があったわけですが、これは会社関係の帳簿には一切載ってないわけです。従って、この所得全額が漆原さんの所得であると。もうひとつは、漆原さんが出された申立書にも漆原不動産株式会社として、仲介手数料として一二七万なにがしの仲介手数料を受け取ったと、それ以外には会社としても個人としても一切受け取っていないということだったものですから、漆原さん個人の収入であるというふうに認定したわけです。」と証言している(証言調書一四頁、一五頁)。しかし、これが所得の帰属を判断するための法律解釈適用を誤っているものであることは、前記瑕疵の明白性に関してのべたところである。また同人の証言によると、乙第一号証を重要な認定資料としていたことも認められるところ、乙第一号証の成立経過には前記のような不自然な点があり、乙第一号証を右のごとき趣旨の資料にすることは不適当であることも証人田所富男の証言によってあきらかになったといわなければならない。かくの如くであるから、証人五島寿一の証言中には所得の帰属主体が上告人個人であることを認定するための資料たりうる証言部分は含まれていないというべきである。

(一一) 最後に証人川原田卓雄は、上告人と訴外会社との関係では上告人が、「そういったような不動産の仲介行為」を行ってもいいんだということになっている旨上告人が同証人に陳述した証言している(証言調書四〇頁)。このような陳述は、本件の場合ことの性質上課税要件の根幹にふれる問題であったから、もしこのような陳述がなされたとすれば何故乙第一一号証の特別調査事案の処理経過表に記載されないのか不自然である。また、上告人は個人として本件取引に関与していたことを終始否認していたのである。また、被上告人が一方的な結論を出しておいて、それを上告人に承服せよとせまっても、上告人が立腹することはあっても、上告人の気質上右のような自己の認識に反する陳述をそのような際にするとはとうてい考えられない。上告人が右のような陳述をしたことが他の証拠によって補強されない限り、右証言のしんぴよう力はない。

第三 原審判決は、「黒田順夫は被告の調査に際し金員の授受を否認しており、また日本海陸運輸株式会社なる会社も架空の存在であったため、被告は本件更正時において黒田順夫に対する右(二五〇万円)の支払いの事実を確知しえなかったことが認められるから、右の処分当時の事情からみれば、被告の判断が何びとの眼にも明白な誤りであるとはとうてい認めることはできない。したがって、右の瑕疵が明白であるということは出来ない」という。しかし、瑕疵の明白性は被上告人がみずから行なうべき調査を行えば当然にみとめられたのである。それは、黒田順夫の証言によっても、明らかであるし、また、川原田卓雄の証言によれば、被上告人にも当初からこれを明らかにする機会を与えられていたことも判明する。よって、前記瑕疵の明白性の要件についてのべたと同じ理由により、原審判決は右の点において行政処分の瑕疵の無効事由たる明白性の解釈適用を誤っているものと思料する。

第四 原審判決は、本件取引の当事者として上告人個人を個人たる資格で登場させるにあたって、証拠上説明しえない事実認定をしている。すなわち、原審判決は、上告人が「田所ら」に対して手付金三〇〇万円を支払ったと認定している。しかして、右「田所ら」が、田所富男及び大原敏の両名(本件土地の共有者)を指すことは明らかである。

原審判決は右手付金がいつごろ支払われたかを全く認定していない。

田所らが誰かから金三〇〇万円を受領したとされているのは、上告人が田所の名前すら知らなかった時期であることが証拠上みとめられるので、これを明らかにすることをことさらに回避したものと思われる。また、証人田所富男は上告人から金三〇〇万円を受領したことを証言中で否認しているのである。

原判決は、認定事実と矛盾するこれらの証拠関係についてふれるところがない。

以上

上告人の上告理由

東京高裁昭和四九年(行コ)第七七号所得税更正決定無効確認請求控訴事件につきまして、昭和四九年一一月二七日民事第二部の判決言渡しにより控訴棄却となりましたので、この判決は上告人の主張事実に対して誤った判断をしていることについて上告人代理人から昭和五一年四月二日付をもって上告理由書を提出しましたがその補充として次のとおり原審の誤りに対する反論とその主張事実を申述べます。

つきましては先づ最初に異議を申立ることは、上告人と訴外会社(漆原不動産(株))の何れに本件売買における、その所得が帰属するかに関して原審判決は第一審判決を引用して「原告主張の重大かつ明白な瑕疵がないというべきである」と結論づけているが、これはあまりにも被上告人側における軽卒な調査事実を基礎にした、軽卒な判決と判断するものであります。それも第一審における結論事実認定として、認定文章抜粋「被告係官の訴外会社に対する調査によれば」、云々「本件売買に関しては右仲介手数料収入の記載しかなく、他に前記利得額に対応する収入金額を記載した裏帖簿等も発見されなかったこと、また原告からの事情聴取においても前記利得の帰属に関し何ら明確な答えを得ることができなかった」云々「他に右認定を左右するに足る証拠はない」。「右のような事情の下において、その所得が原告個人に帰属すべきものか、あるいはまた訴外会社に帰属すべきものかは、すこぶる認定の困難な問題であるが、少なくとも訴外会社に所得が帰属したことを肯認するに足る確たる事実関係を認めることはできない。したがって、原告に所得が帰属したと認めた本件更正に仮に瑕疵があるとしても、それは明白な瑕疵であるということはできないから、原告の右主張は理由がない。」

と認定したことは原審判決の重大な過失といわなければならないのであります。

それというのも被上告人が税務当局の調査上最も重要な本件取引の根幹をなす所得の帰属主体を誤認しているのを原審で半ば認めるような文言を述べながら原告の主張は理由がないとして認定したことであります。

そもそも本件における税務当局の調査は怠慢というかずさんというか本件取引の調査にきた係官は最も重要な調査の対象者である、訴外会社の代表者である、上告人と殆んど調産と対話することなく五分たらずのみじかい時間の対話(訴外会社事務所の通路に立つたまま)だけで係官は引きあげて行ったのであります。

なお更に訴外会社が所得の帰属主体である照会文書(別添写のとおり)の資料を見ても明らかであり、それもその照会文書の発行先は京橋税務署の所得税課上席国税調査官が担当してそれに対し訴外会社の経理責任者岡田太郎が署名捺印の上、上告人は訴外会社の代表者として署名捺印し本件取引が訴外会社の取引であることを当初から、その事実を照会文書の如く表現し回答しているので被上告人にしても国税の調査上最も重要な所得の帰属主体を掌握しなければならない義務がありながら、その義務を怠った事実が右に述べたとおり歴然としております。

そこで仮に本件取引において上告人に所得があったとしても上告人は訴外会社の代表者として本件取引に対する行動をとったのであるから上告人の所得は当然訴外会社に対して更正すべきが税法上の規定である。

それにも拘らず原審において「被上告人に明白な瑕疵がないというべきである」とし「その所得が原告個人に帰属すべきか、あるいはまた訴外会社に帰属すべきものかは、すこぶる認定の困難な問題である」云々と判断していることは、本件における裁判官としての認識が欠けているとしか判断できずその代表者個人たる上告人を所得帰属主体と認定することは許されないのであります。

更に本件取引において被上告人が上告人に対する所得の帰属を裏付けるための資料として作成させたものか、それとも訴外田所富男(本件土地所有者である売主)の一方的策謀かいづれにしても田所富男は己の裏所得を上告人に対して、しわ寄せする目的で別添覚書を昭和四二年三月二二日付にて作成し被上告人に提出しているのを昭和四六年十月発見しました。その内容は御調査いただけばわかりますが、田所は自分の配下として訴外西野可吉と尾形右門と共謀して対税上己の立場を有利にすべく西野可吉を北鮮人安真基(安田清)の代理人として田所が本件土地を安田清に総額三千八百九六万一千円也で売却したことにし、また安田清は尾形右門に総額四千八百五八万一千円也で売却したようにみせかけ、それを尾形右門が訴外丸紅飯田株式会社に総額六千三百九七万三千円也(この受取小切手三枚の内一枚が金三千五百九六万一千円也ともう一枚が金九百六二万円也とあとの一枚が金一千八百三九万二千円也)で売却した。この丸紅飯田株式会社に売却した総額と小切手三枚の内訳額は証拠資料のとおり事実であるが末条(第四条)に「前条による差益金一千五百三九万二千円也については東京都文京区湯島三組町漆原徳蔵氏にたのまれて名義を貸しただけのものであることを確認する」として田所は自己の裏所得分金四百三二万九千円也を含めて差益金として一千五百三九万二千円を上告人が取得した如く偽りの文書を作成して、真実らしく三名(田所、西野、尾形)が署名捺印しています。

そこでこの覚書が偽りの文書であるという証拠を次のとおり指摘します。

(一) この覚書を作成するには更に訴外大原敏(本件取引の対象となる所有者の一人)と訴外会社(漆原不動産株式会社)を参加させて作成しなければならない。

(二) またこの覚書を作成する以上は、田所富男と大原敏が実際の売主であり丸紅飯田株式会社へ売却するまでの便法として(つまり田所が己の所得を一部隠匿する方法)田所は安田清と尾形右門、及び西野可吉を利用したにすぎないのであるから、田所富男及び大原敏対訴外会社(漆原不動産株式会社)と、この覚書を締結することが本筋である。

(三) また訴外会社が本件取引における支払い費用として田所から預って支払った久保工務店に対する整地工事代金三百六万五千円也と日本海陸運輸(株)に金二百五〇万円也及び大烏周佐久に金五百四九万八千円也、合計金一千一百六万三千円也をそれぞれ覚書に追加記入して双方が確認しなければならないのである(それぞれ証言し原審においてその支払いを認めている)。

(四) ところが田所にしてみれば自分の裏所得を上告人にかぶせる目的でもっともらしく尾形右門に本土地(四八一坪)を一坪当り金一〇万一千円也の割合により総額金四千八百五八万一千円也で売却された如くよそおい(但しその事実は本取引のこの仕切り価額は坪単価金一一万円也で右偽りの坪単価金一〇万一千円也との差額金九千円也に剰じた四八一坪合計金四百三二万九千円也は田所富男が取得したものでる)(上告人証言のとおり)丸紅飯田(株)と尾形右門との契約による、その差益金一千五百三九万二千円也は上告人が事実上の受取人であるとして偽装するには上告人が参加すると、その目的を達成することができなかった。

以上をもって右覚書作成が矛盾したものであるとともに上告人を窮地に陥る斯瞞による策謀であることがおわかりいただけると信じております。

なおここで本件取引に関連して明らかにすべき事件として申述べることは、本件取引が完了後尾形右門より昭和三八年一〇月七日以降より二年数ケ月間も金円を恐喝され、その支払った強要された額は合計二百万円前後となりますが尾形が本郷税務署長宛に提出した自筆の内容に受取った一部の金額六〇万円を自供しております。

右の尾形右門に強要された事件も、そのまま泣寝入りにすることはできず告訴する考えとなり昭和四六年一二月二三日東京地検へ恐喝罪として告訴手続をとり告訴係であった村野主任捜査事務官にその告訴状(別添写のとおり)を正式受理してもらいました。

上告人としては右に申述べてまいりましたとおり本件取引については一銭の所得もなく、訴外会社が丸紅飯田株式会社から取引額に対する二パーセントの仲介手数料を取得しただけであるのに、被上告人は立証審査義務を怠り前述のような経過をたどった軽卒な所得税の更正処分と加算税の賦課決定処分を昭和四三年一〇月八日付をもって、すじ違いにも個人の上告人にその通知を受けたのであります。

そこへ更に右告訴状事件によるとおり尾形左門から二百万円前後の強要による支払等のため泣き面に蜂とはこのようなことではないでしょうか。ただ本件取引で漁夫の利を得たのは、田所、西野、尾形でそれにおどらされていたというか、従属したのは被上告人であることを断言します。

田所にいたっては西野、尾形を懐柔し本取引における所得の隠蔽を図るため、このような出鱈目な右覚書を作成し、その資料によって上告人を窮地におとしいれた右の申述べてきた経過事実で判断できます。

それにも拘らず原審において「訴外会社は原告及び原告の家族のみからなる同族会社であって、原告の行為が原告個人としてされたものか、訴外会社の代表者としてされたものか必らずしも明確でないが、本件売買に関しては訴外会社の帳簿には丸紅飯田より受領した仲介手数料一二七万九四六〇円の記帳があるのみで前記転売益に対応する収入金額等の記帳がなく、その他本件取引に関し訴外会社に前記仲介手数料以外の金銭が入金された形跡はないから結局前記転売益は原告に帰属したものというべきである。」と認定しているがこれは前にも申述べた如く基本である所得の帰属主体の解釈適用を誤っているからであります。

つまり本件取引は売主である田所富男及大原敏対買主である丸紅飯田株式会社であって、その中間において安田清、西野可吉、尾形右門は田所富男の懐柔した人物であり田所の金門のさじ加減で自由に操作できたのである。

そこで訴外会社の代表者である上告人は終始その訴外会社の代表者として本行取引の仲介の役を果したのであって上告人はどこまでも田所の条件に従って行動をとり、前述で述べた田所から預かった金一千一百六万三千円也を久保工務店に金三百六万五千円、日本海陸運輸の黒田に金二百五〇万円也、大塚周作久に金五百四九万八千円也を手渡したので要するに帳簿上記載すべきものでなく、むしろ田所が帳簿上記載すべきだと判断します。だから訴外会社は丸紅飯田から受取った仲介手数料だけを帳簿上記載したのであります。

つきましては前述のとおり上告人には一銭の所得もなく莫大な税金を払わなければならない、また要領のいい者が税金を免れる、真実目な人が損をするような世の中では、これでは先が思いやられる。このようなことが二度とおきないよう厳正な判決を御願いするとともに本件における、その経過事実を御庁におかれましてよく御調査いただき、原審の誤ったその所得の帰属主体を御検討のうえ御裁決下さるよう重ねて御願い申上げます。

本上告理由書による追申事項

第一審及び第二審における判決は前に述べてきましたとおり経過事実からの証拠資料、証言等からして不可解なものでありますがこれは上告人に対する感情的認定としか考えられないのであります。

重ねて申述べますが私(上告人)は本件取引に関して一銭の所得もないことを茲に天地神明に誓います。

所得のないものが莫大な税金を払わされ、悪知恵のはたらくものが税金を免れる、又正しいものが損をするようでは、これでは先が思いやられると、強調するとともに、本件ついて正しいものが課税されないよう厳正な御裁決を幾重にも御願い申上げます。

以上

(添付書類省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例